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歴史
1998〜2007

かながわ・ゆめ国体〜創立60周年へ

志村 伊和夫

かながわ・ゆめ国体

    平成10年5月31日、横浜山岳協会創立50周年記念式典・祝賀会をホテルニューグランドで山岳関係者等180余名の出席者を得て盛大に開催され新たなスタートを切った。
    同年の秋には、第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)山岳競技が丹沢を中心に開かれた。横浜山岳協会も競技役員などに40名ほどの人が協力支援した。特に横浜は「医療救護部」(部長:和田誠一)を主に担当し、大会成功の一翼を担った。

日韓交流相互訪問

    平成12年10月に、韓国山岳会京幾道支部との姉妹結縁15周年を記念して14名が訪韓した。3名は道峰山へ、11名は韓国の名峰「雪岳山」に登りお互いの交流を深めた。
その見返りに、平成16年9月、20周年記念で韓国から10名が横浜を訪れた。合同富士登山などで絆を強いものにした。

新規取組事業

    平成11年から「エンジョイハイキング教室」がスタートした。横浜市体育協会から各競技団体へ一般市民対象で講義なども加えた事業内容として検討依頼があった。そこで横浜山岳協会では登山知識、登山技術などの机上講習会(3日間)と実技登山を組み合わせた提案をしたところ採用された。受講者が少ない時期もあったが今日まで毎年続いている。
    平成13年からは、アルパインツアーサービス、山岳映画サロンの協力を得て「山岳映画の夕べ」を実施し今日に至っている。当初は100人前後の規模であったが、徐々に浸透し会場に見合った400人500人で毎年実施し恒例行事になった。

クライミング大会の発展

    当初の葛葉クライミングウオールの頃は、横山協まつりを兼ね役員+αの親睦主体であったが、平成11年の第4回から山岳スポーツセンターに会場を移し、講習+コンペの形に発展した。そして、平成14年の第7回からは、山岳会対抗の団体戦も取り入れられ個人戦と併せ、選手、応援者も増え、手づくりのクライミング大会が充実したものになってきた。各クラブの技術アップもあり、優勝チームも入れ替わりの様相を示している。

市民登山・ハイキング

    エンジョイハイキング教室も加えた市民登山はこの10年で50回実施された。実施された山域のベスト3は、北アルプス・後立山:10回、尾瀬・日光・那須・南会津:6回、北八ケ岳及び富士山周辺:各5回であった。富士山周辺以外はすべて泊り掛けの山行である。山では、白馬岳:5回、尾瀬:3回と定番が上位を占めた。意外と地元の山、丹沢が3回と少なかった。

加盟団体減少と世代交代

    クライミング大会の規模拡大とは裏腹に加盟団体は減少の一途をたどっている。
平成8年には加盟団体数が37であったが、平成19年には20団体と大幅に減ってきてなかなか歯止めがかからない状況である。若い人たちの入会が極端に少ないのは職域、一般山岳会も同じで厳しい運営を強いられている。そんな中、ここ数年ホームページを持つクラブが幾つか現れ、新入会員獲得に実績を上げつつあるクラブも出てきた。
    16年18年の3年ほどの間に、副会長2人、前会長そして理事長と60代の協会現役役員が相次いで他界し協会運営も厳しさを増している。これらの悪夢を追い払うために、平成19年1月大山で「厄払祈祷会」を実施した。必然的に今後は世代交代が進むであろう。

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